お疲れさまです。
40代・「現役」介護福祉士の小林です。
この記事ではブラック介護施設を脱出後に「派遣介護職」として高時給でめっちゃ自由度が高い働き方を手に入れ、その後ホワイト介護施設で好待遇の正社員介護士として働く前の、転職4回&解雇+ニート+フリーターという波乱万丈な人生の寄せ鍋のような、なんともお恥かしいプロフィールについて語らせていただきます。
このプロフィール【前編】を読んでいただくことによって、
「人生なんとかなるさ!」(実際になんとかなります‼)
と少しでも明るい気持ちになっていただければと思います。
傷だらけというか、泥まみれというか、汚点だらけの社会生活を送ってきたボクですが、現在は高待遇で人間関係に恵まれた介護付き有料老人ホームで介護士として働きながら結婚をして、安定した毎日を過ごすことができています。
それも、まったく人様に自慢できない、ボロボロの社会人としての経歴でありながらです。
- 「え?派遣!?いまさら派遣で働くなんてイヤだよ!」
- 「派遣なんかで稼げるわけないだろ!」
- 「派遣(の男)と結婚なんかあり得ない!」
と思いましたか?
あなたのその認識……間違ってます!
他の業界では収入面において、
正社員>派遣
という関係性が成り立ってしまいますが、介護業界においては、
正社員<派遣
という特殊な関係性が成り立っているのはまぎれもない事実なのです。
「は?そんなこと言われても、信じられないし……」
確かにその通りです。
「稼げる」「負担が少ない」「自由度が高い」派遣介護職といて働くことの可能性・多様性については、ボク自身の実体験にもとづいて書き示したこちらの記事、
をお読みください。
あなたの派遣介護職に対する「偏見」が解消され、「目からウロコ」体験をして頂けるでしょう。
ボクがブラック介護施設から無事脱出(退職)し、現在はホワイトな労働環境の介護施設で好待遇の正社員介護士として働くこと激ているのも、一度は高時給(時給:1,700円)で自由度の高い「派遣介護士」として働く道を選んだからです。
1,700円の時給で一日7時間(8時間拘束だと休憩1時間なので7時間分の時給)で、一月に22日(週休二日)間働いたとしましょう。
1,700円/時×7時間/日×22日/月=261,800円/月収
これだけの額を介護士として稼ぐことができるのです。
しかも、
- 働きだした初月から
- サービス残業なし
という条件でです。
「本当にそんなにウマい話しがあるの……?信じられないんですけど……」と思われたあなた。
ご自身の目で「事実」を確認してください。
プロフィール【前編】+【中編】+【後編①+②】で人生ドン底⇒月収30万円以上の介護士へ転身!
というボクの復活劇を読んでいただければ、口先だけでいい加減なことを言っていないことを心から理解していただけます。
とにかくはやくブラック介護施設から脱出し、無事に転職を成功させるために必要な優良派遣会社・転職支援サービスについて知りたい方はコチラの記事をお読みください。
激烈にブラックな職場でパワハラの嵐に巻き込まれ、辞めることすらできずに悩まれている方は「退職代行サービス」を利用することをオススメします。
最近テレビ(NHKの「クローズアップ現代+」など)でも取り上げられるほど注目度が上がってきた退職代行サービス。
その中でも、低価格・定額制で利用価値が高い退職代行サービスSARABA(さらば)について徹底的に調べて解説した記事はコチラです。
前置きが長くなってしまいました。
それでは介護士に転職する前の、「道端の蹴っ飛ばされた転がる石(Rolling Stone)」のようなプロフィール【前編】お読みください。
怠慢企業からの転職に大失敗!ブラック企業で心身ともボロボロに……
小・中・高校と平凡な毎日を送り、一浪して入学した3流大学の文学部卒業後、なんとか引っかかった小さなガス機器設備会社に就職をしました。
当時のボクは人生をナメきっていたため就職活動を適当にしか行わず、採用してくれるところで働ければいいかなぁ~という感じでした。
なので、まったくガス関係や設備関係の仕事がしたかったわけではありません。
安い給料(年収330万円前後)で7年間勤めましたが、
- 長い拘束時間(月~土 8:30~18:30)なのに給料が安い(週休二日の契約でしたが土曜の休日出勤は日常茶飯事)。
- 職場にまるで活気なし。
- ベンツを乗り回す社長のどんぶり勘定&怠慢経営にうんざり。
と次第に不満が募っていきました。
そして「手遅れだろ!」という遅さですが、社会人として働くことをマジメに考えだしました。
「この会社で定年まで働き続ける自分が想像できない⇒この会社の未来にまったく希望が見いだせない⇒イヤイヤ仕事をして低待遇で働き続ける先に幸せはあるのか……?」
と悩みの壁にブチ当たり29歳で転職を決断。
退職願いはアッサリと受理され転職活動開始。
ハローワークに一月ほど通い、リフォーム関係の営業職に転職することに決めました。
転職先に選んだ理由は賃金の高さ(愚かでした!)。
契約の時の話では、浴室関係のリフォームを一件取ってくれば20万円のインセンティブ(歩合)がつくとのことでした。
しかし、これはまっかなウソでした!見事に「釣られて」しまったのです。
なれない飛び込み営業。
ふくらはぎがパンパンになり、夜も眠れないほどに疲れ果てて取ってきた1件の契約。
それも、インターフォンで20分近く粘り、ゴリ押しで玄関まで入り込み、高齢の人の良いおばあちゃんにほとんどウソともいえるような煽り営業トーク「はやくリフォームをしないと、家全体が腐っちゃって取り返しがつかないことなってしまいますよ!」と……。
詐欺師になり下がってしまった自分が嫌になり、おばあちゃんに懺悔の気持ちでいっぱいになりながら取ってきた契約なのに、実際に支払われたのはたったの「5千円」でした。
リフォーム工事費用は見積もりで70万円以上の規模のものであったのに……。
理由を課長に詰め寄ると「お前は3ヶ月間一件も契約を取ってこれなかったんだぞ!5千円ももらえるだけありがたいと思えバカ野郎!」と逆に罵倒される始末。
「ボクはこの世界では働けない……」1年弱で転職を決断。
在職中に不眠+抑うつ状態(気分変調性障害)になってしまい、メンタルクリニックに通院することに。
この営業職時代の心身ともにギリギリの追い詰められた経験がトラウマになってしまい、退職後もしばらく「不眠+抑うつ状態」は続きました……。
転職大失敗後⇒30代で引きこもりニート⇒フリーター生活突入
働くことに疲れてしまい、約1年間引きこもりニート生活を送ることに。
実家暮らしのパラサイト・シングルであったことが不幸中の幸いでした。
30歳ともなると親元を離れ、一人暮らしや結婚して家庭を持たれている人が多いでしょう。
そうでなかったことが、当時の僕には幸いなことであったのかもしれません。
*31歳でセブン〇レブンでの中年フリーター生活
引きこもりニート生活を半年ほど続けたころから、見るに見かねた友人が「とりあえず、週2~3日のアルバイトでもはじめたら?」と、ボクの部屋に来てたびたびアドバイスをしてくれるようになりました。
今になって振り返ると驚くのですが、1年間も引きこもりニート生活を送ってしまうと「人間が、社会が怖い」という状態になってしまうのです。
他者と関わりながら働き、社会生活を送るということがとんでもなく高いハードルになってしまうのです。
半年ほど根気強くボクにつきあってくれた友人に促され、ようやく思い切ることができたのはコンビニの夜勤でした。
なぜ夜勤にしたのか。
その理由はボクの生活が完全に昼夜逆転になってしまっていたからです。
また、引きこもりニート生活の間にも深夜にときどきコンビニにだけは立ち読みや買い物に出かけていたので、心理的なハードルが低かったということもあります。
なのでまずはできるだけ無理をしないで、家の外に出て働ける方法としてコンビニ夜勤があったのです。
まずは週1から開始しバイト仲間にも恵まれてこともあり、1年後には週3夜勤まで働けるようになりました。
コンビニの夜勤では様々な人生経験を積んだ方と出会うことができました。
この時期は仕事としては忙しかったけれどもストレスが少なかったです。
なので、中年フリーター生活を3年近くも続けてしまいました。
中年フリーターというコンビニバイト生活は楽しくはありましたが、将来を考えると漠然とした不安が常に心にのしかかるようにありました。
このままの生活でいいのか……不安と悩みはどんどんと深くなっていきました。
再びガス機器の設備会社に就職するも……解雇!
友人の「正社員としての社会復帰を目指すなら、今までの経験と資格を活かせるガス機器関係の会社が一番だろ」という言葉もアリ、ハローワークを利用して転職活動を開始。
10社近く書類審査で落ち、ようやく面接まで行けた1社は小さなLPガス(プロパンガス)会社でした。
社員はボクを含め3人しかいませんでした。
仕事は忙しい時と暇なときとの波がとても大きかったです。
ヒマな時期は当然給料は安くなります。
忙しいときはそれなりに給料は良くなるのですが、非常に困る問題がこの会社にはありました。
それは、社長が大の酒好きで「痛風」持ちであったことです。
忙しい時期に社長の痛風発作が出てしまうと、ボクともう一人の60代の先輩社員の二人で仕事を回さなくてはならないのです。
給湯器などのガス機器の取り付け、ガスメーターやガス管(配管)工事が重なると、朝から晩まで、土日も休みなく働くことが度々ありました。
それでも人間関係は悪くはなく営業時代のようなストレスはなかったので、辞めようとは思っていませんでした。
ただ、将来的にこの会社は大丈夫だろうかという不安は常にありました。
そして、その不安は突然思いもよらない形で現実となりました。
社長が脳出血で倒れてしまったのです。
幸い一命はとりとめましたが、右手足の麻痺と言語障害(失語症)という後遺症が残ってしまいました。
そして、社長の奥さんから会社をたたむ(会社都合解雇)という話をされたのです。
正直、驚きはありませんでした。
「だろうな……」という気持ちでした。
転職して2年。すでにボクは36歳。
「この先どう生きればいいのか……」途方に暮れるしかありませんでした。
に続きます。
超絶ブラックな介護施設でのみじめになるほど悲惨な待遇で、心身ともにボロボロに消耗した悪夢のような体験から、高時給で自由度のめちゃくちゃ高い派遣介護士に転職することによって勝ち得た、平和な生活への道筋を渾身の思いを込めて書き上げました!
ブラック介護施設で疲れ果てているあなた。
介護職をもう辞めようと考えているあなた。
ぜひ一読してください。
幸せの扉の鍵は目の前に転がっているかもしれませんよ。
ボクがブラック介護施設から無事脱出(退職)し、現在はホワイトな労働環境の介護施設で好待遇の正社員介護士として働くこと激ているのも、一度は高時給(時給:1,700円)で自由度の高い「派遣介護士」として働く道を選んだからです。
高時給で質の高い派遣介護士の求人情報のみを取り扱う、ボク自身も利用しているかいご畑でブラック介護施設から脱出して転職を成功させませんか?
- ハロワ通いなどの転職活動の面倒がなく
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- 人間関係に悩むリスクを最小限に抑えられ
- しかも正社員よりも稼ぐことができる
- しかもしかも、実務者研修が無料で取得できる!
そんな派遣介護士という働き方は、ブラック介護施設から最速で脱出するのには、最強の働き方だとボクは断言できます。
派遣介護士として働きながらガッツリと稼ぎ、無料で実務者研修を取得してしまう。
その後、ゆっくりと好待遇+労働環境良好なホワイト介護施設を探す。
あなたも転職の選択肢に入れてみる価値は十分にあるのではないでしょうか?